中國西域旅行記 - その 15 -


24.天穹蒼蒼

 我々の乗ったバスは相変わらず強烈な日差しの砂漠のなかを北の山々に向かって 走っていく。やがて、道路の横に河が寄り添うようにして現れる。 向こうの崖には遺跡らしい石造りの建物も見える。一瞬、黄河の源流かと思った。 が、世界の大河の一つである黄河や揚子江の源流さえ、はるか東になった敦煌の 南東の星宿海辺りにある。ここはもうすでに中国の歴史の中心地「中原(*1)」とは 隔絶した全くの別世界なのだ。この河はトルファンの砂漠に飲み込まれ、姿を消し、 オアシスとなって湧き出てあの小さな街を潤している。

 やがて、砂漠から盛り上がった天山山脈の東端とボゴダ山脈の西端が河を左右に 挾んで緩やかな谷となる。バスはその中へと走って行く。長い谷間を走る間、 バスの中では山崎氏の持ってきたカセットのポップスが流れている。そのうち、 この谷を中古の日本製サルーンバスがカラオケなんかをやりながら 走って行くのだろうか……。

 13時(北京時間)すぎ、突然視界が開け平原に出る。いま、我々は天山南路から 天山北路へと抜けたのだ。更に北に進みソ連邦(当時)に至れば、もう一つの シルクロード“草原の道(ステップルート)”に至る。地図で見るとここは ウルムチの南方のカザフ族の南山牧場と言うところで、天山山脈の谷間の平地程度だ。 なるほど遠くには緑の山が見えるのだが途方もなく広く感じる。 相変わらず晴れ渡った空の下、遠い山々に囲まれてなだらかにうねる大地は牧草と 潅木に覆われ、その中に点々と羊や馬の姿が見える。蘭州から敦煌に入って以来、 ずっと荒涼とした茶色い大地を見続けた目には本当に新鮮に見える。 吹き渡る風がとてもやさしく感じられる。1500年前のモンゴル平原の民はこう歌った(*2)。

(読み方)
ちょくろくのかわ
いんざんのもと
てんはきゅうろににて
しやをろうがいす
てんはそうそう
のはぼうぼう
かぜふきくさたれて
ぎゅうようあらわる
(訳)
勅勒の平原、(川は平野という意味)
陰山のふもと。
天空は丸いテントのように、
四方に拡がり大地を覆い包んでいる。
空は抜けるように晴れ渡り、
草原は果ても無く拡がっている。
風が吹き草がなびくと、
草原から牛や羊の姿が現れる。

 何の外見味(けれんみ)も飾り気も無い詩だが、おおらかに伸びやかに自分たちの 住む美しい空間を歌っている。そして、これほどあの天山山脈の山間の景色の情景を 見事に表現したものはないと思う(*3)。

 やがて、小さな友誼商店に着いた我々は、この絶景を眺めながらスイカを “中国風”に喰い散らかし、ホッと溜息をつく。山崎氏が友誼商店の女性や 女の子をを写真に撮っている。再び出発すると踏切でウルムチからの大陸横断の 貨物列車が通り過ぎてゆく。道沿いに町の気配が濃くなり15時、 人口140万の大都会ウルムチに着く。


(*1) 黄河中流域の肥沃な平原地帯。歴代王朝の興ったところである。

(*2) 勅勒は現在の甘粛地方と内蒙古一帯、もとは中国北西の勅勒族の モンゴル系鮮卑語の歌で、北斉(ほくせい)(AD550〜577)の 斛律金(こくりつきん)(AD486〜565)が歌ったと言われる。 (ちなみにこの詩はたいていの高校の漢詩の教科書には載っている)

(*3) 実際、この漢詩を味わってもらいたいがために、今まで幾つか漢詩を載せて 来たようものなのです。


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