中國西域旅行記 - 最終回 -


28.上海雑技団

 夕食はホテルの外なのでロビーで待合せすることになっている。 ロビーに降りてみると、渡辺氏を中心に肩を寄せ合うようにして、新聞らしきものを読んでいる。 日本の某大新聞(忘れた、まぁ、大して違いは無い)の衛星版(8頁くらい、約200円!)を見ているのだ。 そして口々に言っている「“おのうえぬい”って誰?」。 トップ記事は料亭の女将が株取引の失敗で数十億円の損失を出して、 金を出した銀行や証券会社を巻き込んだ大騒ぎになっているということだった。 「何で、料亭の女将が何十億円もの金で株取引が出来るんだ?」「わからねぇ」。 この頃はちょうどバブル崩壊の混乱期で他の記事も似たような具合で 『市場(しじょう)で何兆円の評価損』、とか『何百億の不正融資』というものばかり。 『市場(いちば)で10カイ(シークァイ)(元≒260円;‘91当時)ふっかけられて損失』したり 『2毛(リャンマオ)(2角≒5円)のハシ代の不正な支払忘れ』をしていたためか、 体感的に理解できなくなっているらしい。 日本語の記事なのに、どこか知らない架空の国の新聞を見ているような気がする。 もちろん、それで悩んだりはしない。 おばさん達が「なんだか、良く分からないわね」「本当に」と締めくくって、新聞はしまわれてしまう。 それより上海雑技団の方が心配だ。

 バスに乗って雑技場へ、夕食はその横の大きな土産物屋の二階にあるレストランで食べるのだ。 いかにも中国といった内装で、味も美味しい。 またも、例の夜行列車の騒ぎのお詫びということで、結構豪華な料理が出てくる。 紹興酒(*1)まである。 ちょうど旬の上海ガニを頼む人もいる(ちょっともらって食べたが、やや濃厚な味で美味しい)。 それにしても、ここの中華料理はうまいが、同時に懐かしいような感じがする。 向こうのテーブルでおばさん達が思わず言う、「美味しいわねぇ、日本の中華料理屋さんみたい!」、 こちらの男たちがうなずく「ああそう言えば、そうだな!」。 何てことは無い、中華料理版『お茶付けの味』を味わっていたのだ。

 「うまい」の基準というのは何なんだろうか? 人は慣れ親しんだ味の守備範囲に入らないと 「うまい」「まずい」の評価の対象にすらしないんじゃないのだろうか? この国では地方によっては味付けより食材で料理のランクが決まることもあるのでは? 西域のホテルでずいぶんと残してしまったあの料理もやはりごちそうだったのかも知れない。 でも、こっちの方が……、やっぱり美味しい……ニンゲンなんてこんなもんさ! まぁ、マクドナルドと吉野屋の味に世界が染まってしまうよりは、西域の料理の方がよっぽどましだ。

 夕食の席上、少しお酒が入ったせいなのか現地ガイドの張さんが 一階の土産物屋には贋(にせ)ものが多いと一行に教えてくれる。 確かに、下の店は妙にけばい感じがして、 美術品というより観光地の記念品を並べているような雰囲気だ。 店員の日本語が堪能ということだけでも、十分要注意な上に、 極めて仕事熱心とくれば、警告の赤ランプが目の前でくるくる回っているようなもの。 ほとんど買う者はいなかったと思う。 が、まずいことにさっきのガイドの忠告が洩れてしまったらしい。 店を出るときに店員たちが路上にまで出てきて張さんを日本語でののしる、 「この人嘘付き!」「この人一番悪い人!」、etc...。 店員全員実に日本語がうまい。 これまでの経験から言って、ガイド氏の方が正しそうだ。 ツアコンN氏は、我関せずと知らん顔している。

 7時すぎ、雑技場へ。オープニングの後は、5人の女性による皿回し(一杯回してました)、 身体の関節がどっちに曲がってたのか分からなくなる曲芸が続き、動物の芸が始まる。 残念ながらパンダはやはりいないが、レッサーパンダ、イヌと登場する。 そして、当時日本のCMに出ていて人気だった「鉄棒をするネコ」が出てくる。 思いきり日本人に受けている。 ネコは、何匹か飼っていたことがあるが、あの人に媚びないネコが芸をするとは意外だった。 象の演技では小さな椅子の上に一本足で立って見せてくれた。 そして、シーソーを使って次々と肩の上に跳び乗っていき五人まで重ねる。 足でものを回し、二人でありとあらゆるものを足でキャッチボールする。 チンパンジーまわし、声帯模写が続く。 そして誰もが一度は見たことがある、高さ3mの一輪車に乗り、 足先に乗せたどんぶりを頭の上に載せる芸が始まる。 が、最初の一つを失敗し、落してしまう。 一瞬静まり返った観客席から拍手が湧きおこり、彼女を励ます。 再挑戦!、一個、……成功!、二個、! どんぶりの口と口が向かいあわせになって重ねられる!、 三個、今度は底と底だ!、 四個、五個、成功!大拍手。 そして、なんだかのんきそうな虎の演技でフィナーレ。 あっと言う間の二時間、やはり一度は見て欲しい。

 ホテルへ戻って荷物整理をやってもまだ10時半、だが疲れている。やっとこさ風呂に入って寝る。

8月18日(10日目)

 7時にモーニングコールがかかるまで、眠っていた。 しかも、15分ほど私も山崎氏もベッドから出られない。 やっと這い出て、41Fのレストランへ、バイキング形式で日本のホテルと全く同じ。 缶詰のライチとミカンに“薄皮”が残っているのがわずかに中国らしい。 “下界”は朝もやの中にある。

 まずは、魯迅公園へ。今日は日曜、人で一杯。 それにしてもこの国の子供はお姫様、王子様のように着飾っている。 木陰で大極拳らしきことをやっているが、やり方も型もバラバラ、 身体をぶるぶる震わせるだけの人もいる。 やはり、子供のころの公園の風景を思い出してしまう。魯迅の墓を見るともう時間が無い!!。

 すぐに、外灘(ワイタン)(通称、バンド;Band?)へ向かう、道沿いの色鮮やかな看板が次々に見える。 外灘は南京東路の東の果てにある黄浦江沿いの公園で色々な屋台や出店もある。 もちろん人、人、人である。黄浦江はまるで海のように見え、大小新旧の船が上下している。 外灘の堤防から街の方を振り返った眺めは震災前の神戸の旧居留地をどことなく思わせる。 しかし、ここにも20分しかいられない。

 次は、豫園(ユイユエン)へ。派手な花輪をずらりと並べたデパートがいくつかある。 今日は上海一斉バーゲンの日だとかで、入り口にはびっしりと人が待っている。 外灘のすぐ南の豫園は有名な中国風庭園である。 造りも立派、園内に巡らされた塀の上には、瓦で長大な龍を形造っている。 見事な細工の透かし彫りの瓦もある。

 ところが、手前の豫園商場(ユイユエンシャンチャン)から、大きな神社の初詣のような人込み。 前回のツアーでははぐれた人やバッグのひもを切られた人がいたとか...。 入り口から出口までずっと人の列の中、ガイドの張さんの説明もよく聞こえない。 その上張さんの歩くペースが早い! ぐったりして出て来たときには11時半ですぐに昼食に向かう。 N氏の話ではこの昼食もグレードアップしたとのこと。 やはり、味は日本の中華料理に近い。上等な中華料理屋は日本の味に近い?

 午後の予定は玉で出来た仏像のある玉仏寺(ユイフオスウ)などの観光名所巡りが続く、 が何人かはここで単独行動に入る。 実は、この単独行動をするに当たっては、前日に全員が旅行会社に 「何がおこっても、個人の責任です」と言う趣旨の念書を書いている。 最初からちょくちょく外出していた我々にとっては当たり前のことなのだが、 まぁ、建前と言うことで……。


29.単独行

 昼食が豫園の近くだったので、小さな店が百軒以上もある豫園商場に行こうとしたが、 すさまじい混雑に考え直して、同じく自由行動の呉さんに導かれるように北の上海博物館の方に向かう。 上海博物館は何かの工事をやっているが、一応開館している。 勝手に入っていっても受付が気付かない。 しかたなくこちらから呼ぶ、入館料は4カイ(4元≒100円、地球の歩きかただと1カイ(*2))。 二階が第一楼で、青銅器だけでこのフロア全部が占められている。 No Flash;禁止拍照の表示が無い! きりっとキメたガードマン氏にカメラを示し、身振りで確かめるとOKだとのこと。 西安の兵馬傭坑や敦煌の莫高窟を始めとして、小さな民族博物館でも撮影禁止だったのに、 最大級のここで良いとは...。 館内も日本の国立博物館より余程きれいである。 ずーっと前に学校の教科書や副教材で見たことのある遥か昔の青銅器を眺めて歩く。

←青銅の鼎 景徳鎮→

 三階(第二楼)は陶磁器、産地が近いので当然と言うか『景徳鎮』の陶器が山ほど置いてある。 1mを超える極彩色の絵皿、玉のような薄緑の大きな壷、苔のようにさえ見える細かな細工が施された器。 「これ何億?」は野暮というもの(でも考えた)。 シルクロードと言うとすぐに出てくる唐三彩のラクダに乗った胡人の陶器がある。 冷房もガンガン効いている。人も少ない、最高である。が、第三楼の書画はお休み、残念。

 二時半ごろ外へ、暑い! 南京路(ナンキンルー)へ向かう。 地図を見ると上海は非常に広いように感じるが、実はかなり狭い。 市街なら歩いて一時間程度でほとんどのところに行ける。 結果として、人口密度は1平方キロメートルあたり6万人近い。 しかし、南京路の新華書店、華僑商店、上海工業美術品服務部まで改装中で仮店舗だったり閉店している。 南京路全体でも工事中のビルが4〜5軒に一軒くらいある。お手上げ、別な新華書店に入る。 神田(御茶ノ水?)の老舗の本屋のような感じで、まだマンガ、ハウツー本、 擬似の科学・経済・思想の本に占拠されていない。つい、まじめな本を探してしまう。 1、2年分の講義分にあたる量子力学の教科書が上下巻で12カイ弱(当時で300円、今なら百円ちょっと)と 安い!、思わず買ってしまう(*3)。 旅先の土産は後から欲しいと思っても買えないので、けっこう積極的に買い物もしたが、 今から思うとあんなに安いのだからいろんな物をもっと無差別に買っておけば良かったと思う。 四時半にうちのツアーのバスに出会うが、まだがんばる!と意地を張る。 この辺りを歩いていると、チェンジマネーを迫る奴や、 薄気味悪い友人づらで日本語で話しかけてくる奴がやたらといる。 まだそんなにすれていない(?)せいか、何を考えて近づいて来ているのか良く分かるし、 そんなにしつこくも無い。

 淮南中路へ向かおうとして、早足になって角を曲がる。 ……あれ!?……しばらく進んで雰囲気がおかしいのに気付く。 空はまだ青く明るいのに、家々は薄茶と灰色にくすんで通りの両側を塞いでいる、 そのくせ人通りが少ない。 この雰囲気はまずい……、過去のヒヤリとした経験を思い出し冷や汗が額に噴き出るのが分かる。 知らない街で角を曲がるときは注意しないといけないのだが...。 時間が無い!、度胸を決めて前をきっと見て大股で歩いていく。 たった10分で淮南中路に着く、時間は五時過ぎ。 ここはホテルに近く、ちょっとした食べ物を買うのに何度も歩いていて良く分かる。 玉の馬を見つけ買おうとするが、ショーケースを開ける鍵が見つからない。 店員が諦めてくれと、手を振る。時計を見ると17時18分、ホテルの集合時間は五時半だ。 ホテルはすぐそこまだ間に合う、そう思って陶器の店に入る。 鳥を描いた白磁の壷を見つける。羽根のように軽い! 44カイ、買った! 時間が無いと思いながら、同時に『あぁ、豫園商場に行っておけば良かった』と思う。 さらに、『人民元が余り過ぎている』気がして、 ホテルに向かう路の雑貨屋で民族音楽のカセット(6カイ5毛)を買う。 誤算が一つ、ホテルの入り口は今の通りから反対側だった。 最後は小走り、5時31分、ロビーへ。拍手で迎えられる(あぁ、恥ずかしぃ!)。 汗だくになってしまっている、が五分もしないで夕食へ出発。 山崎氏は結局、夕食には間に会わなかった。ジュースをがぶ飲みする。

 よる8時過ぎに淮南中路に行くが収穫はなし。 帰ってテレビを見ていると、サイコ2をやっているが、 どうやらどこかでTVから録画して字幕を付けたものらしい、ほんの一瞬某国のクツのCMが出る。


30.大団円

8月19日(11日目)

 六時に起きるが、眠い。荷物を廊下に出して、7時に朝食。 41階の窓は水滴だらけで、上海の街は眺められない。 一階に降りて、今頃になって上海の交通図を買う。 7時40分には出発、何かの感慨を感じるひまも無いまま、8時過ぎには空港に着いていた。 飛行機は10時の便だ。

 9時、空港で荷物を預けてから、航空券をもらうところで最後のトラブル。 搭乗券が足りないのだ。たった一枚足りないのだ。 そう告げたN氏が航空会社と掛け合う、10分……20分。 既にこの便はすさまじいオーバーブッキングらしい、 ついにツアコンN氏が言う「とにかく航空券とクレイムタグを皆さんにお渡しします。 それでは皆さんとはここでお別れということで……。」 さすがに動揺する一同、とにかく出国審査を受ける。 余った元(兌換券(*4))で安い石の彫りものを買い、残りを円に両替する。 搭乗が始まる、列に並んだみんながN氏を気の毒がる、なごりを惜しむ暇もなかったのだから。 そこにひょっこりN氏が現われる。!?。 乗ってみると、席もひとかたまりとなった我々の、しかも私の横に座って来る。 「どうやって航空券を取ったんです?、しかも(我々の)すぐそばの席を?」、 何でもないといった感じでN氏が答える。 「今、うちの(旅行)会社の華僑の専務が上海に来ているんです。 華僑社会ではかなりの実力者なんですよ。 それで、(その人に)電話して航空会社に頼んでもらってこの席を取ってもらったんです。」、 続けて両手の平を10センチほどはなして言う 「チケットでこれくらいの高さ……、数十席もオーバーブッキングが有ったんですけどね」と なんか自慢げである。そして言う、「中国はコネと縁の社会です」。

 ところが、なかなか離陸準備のアナウンスが無い。 どうしたんだろうと聞くとN氏がケロリと言う「オーバーブッキングの客が最終手段として、 キャプテンと交渉しているんでしょう。」(オイオイ、誰のせいだ!!)。 10時52分、やっと離陸する。 気付いたときには上海の町並みはすでに見えず、長江の水で濁った海も後に消える。 ここでN氏が、サービスのジュースを2杯飲む方法を教えてくれる、 「もらったらすぐに飲んでしまうんです」、二人してそれをやるが見事に失敗する。 台風が沖縄付近に有るらしい、「足止め喰うんなら、沖縄が良いですよねぇ」N氏がささやく。 五島列島が見えてきて、瀬戸内の上を飛んでいるうちに雲が厚くなり、少しうとうとする。 数十分後、雲が切れる、巨大な薄緑色の蟲が十数匹...ではなくゴルフ場だ。 千葉の上空まで来たらしい。入国審査、税関、あっという間の仲間との別れ。 上海から3時間で着いた成田から4時間近くかけてアパートへと帰る。 テレビをつけると、ソ連が崩壊していた。

旅は終わった。


*1) 紹興酒はくせが強くて、と言う人のために→紹興酒を少し熱めに温めてザラメ砂糖を グラス一杯につき一匙くらい入れて混ぜ、レモンを垂らす(か輪切りのレモンを入れる)と スッキリ飲めます。

*2) 拝みたくなるほど役立ったインド版に比べて、地図や物の値段では、 今一つ中国版は頼りにならなかった(しかし、アメリカ版はただの重りだった)。

*3) 日本なら4000円はする。レベル的には、Shiffの本程度でした(分かる人には分かる?)。

*4) 現在、外貨兌換券は夏時間と共々廃止されている。


* 1995年夏の中国西域の状況について →友人がこの旅行記とほぼ同じ行程(上海が北京になっただけ)で行ってきたので簡単に追記しておきます。 また、敦煌の敦煌賓館は新しく建て換えらおり、 メインストリートにもかなりビルが建ち並んでいるようです。 食事もずいぶん改善されたようです(私の友人の言葉なのでどうだか...(^_^;))。 これはトルファン、ウルムチ等の地方ホテルの設備も改善され、冷房はほぼ完備、 バス・トイレ関係も良くなっているようです。 つまり“観光地”として立派になってきています。 従って、街を歩いても物珍しげな視線に会うことは少なくなってきているようです。 もし、これを読んでこの雰囲気の街に行こうと思われるなら、 早い方が良いと思います(じつは、去年('95)にカスピ海の東にあるウズベク共和国と トルクメン共和国に行ってきましたが、そちらはその意味では“旬”でした。 カメラを持っていると子供に囲まれて「撮ってくれ!」……など色々面白い経験が出来ました)。 ただ、国内交通機関が改善されてくれば、蘭州での無意味な一泊が無くなるので、 日程にも余裕が出て来るメリットもあるのですが……。

 また、現在中国では消費税が(一部?、未確認!)導入されているようです。


〈あとがき〉

 旅行記はこれでおわりです。 内容なんか忘れても良いけど、ここに登場した人たちのことを忘れないでいて欲しい。 彼等は今この時にも、上海で、西安で、敦煌で、トルファンで、ウルムチで、 そして日本で、生きているのですから。

謝詞(感謝不尽!!)

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