中國西域旅行記 - その 4 -


7.西安今昔(2)

 さて、秦の始皇帝ゆかりの史跡で最大の目玉は彼の墓である 兵馬俑坑(ピョンマーヨンコン)をはじめとする地下遺跡群である。 まずは始皇帝陵のそばの食堂か旅館らしき建物が数軒集まっているところで食事となる。 パックツアーなので注文であれこれ悩む必要はないが、自分で好きなものも注文できない。 旅行会社が気を使っているのかコックの自慢料理なのか、 どうにもおいしくない料理が段々とこれ以降混じってくるようになる。 実際のところ、西域では土地の自慢料理よりめん類や肉饅(包子)といったものの方が 抵抗が少なく胃にも優しい。 でも、ここの食堂では魚一匹丸ごとから揚げのあんかけはおいしく、 妙に甘ったるいが良く冷えたビールを結構飲んでしまった。

 さて、バスで少しの距離にある始皇帝陵に着く、 陵の前の道路には土産物やスイカを売る派手で粗末な店が一杯並んで何やら叫んでいる。 近づくと、こっちに向かって腹の減ったひな鳥のように商品をかざしてまた叫ぶ 『センエン! センエン! コレセンエン、ゼンブ センエン!』 何とここでは日本円の千円札がそのまま通用するのだ。 とりあえず無視して始皇帝陵に登っていく。 陵の高さは47m、底辺は500m四方の大きさで……特に何もない。 登り道は石段になっていて両側にやはり屋台が出ている。 玉(ぎょく)でできたコースターや灰皿を持った売り子が 「どうだ要らないか」とついてくる。 『不要、不要』と言って手を振るとたいていすぐ諦める、 これがインドの商人なら始皇帝陵の頂上までついていき、 下に降りるまでついてきて更にバスの窓から車内に手を突っ込むところだが……。 陵の頂上も何もなくのどかな耕作地と西安市が見渡せるだけ。 しかし、この陵墓は70万人の人手を使って造られ、 壮大な死者のための地下宮殿まであったが兵馬俑坑共々、 項羽に焼かれその火は数か月消えることがなかったという。 一方私自身の方はビールを飲んで気温40度のカンカン照りの下で 始皇帝陵に登ったためか頭がズキズキと痛みだしていた。 一緒に飲んだ連中もそうらしく、早々に下に降りて日陰に 座りこんでいる。山登りの前に酒を飲むのは良くありませんね、やはり。

 下に降りて例の細長いスイカを買う1/8切で5角、とてもおいしい。 ついでに色とりどりの布で造ったパッチワークが目に止まる。 途端に、陽に焼けたおばさんが一つつまみ上げてわめく『千円! 千円!』。 物欲し気に見ると足もとを見られるので、しょうがねえなという顔をして品物を見て、 横においてある別の倍くらいあるパッチワークを指差して、 そこでうっかり『50元?(約1300円)』と言ってしまう。 これは掛け値の商品を買う場合にはやってはいけないことで、 どうやらこっちの言い値が高かったらしい「そうだ50元だ」とうなずく。 しまったと焦ってももう手遅れ、こういうときはあきらめるのが一番なのだが、 なかなか珍しいデザインでやはり欲しい。 粘って45元に負けさせて50元札を渡すと釣りを返さない! ばあさん、しっかり50元握って、ほらバスがでるよと身振りで示す。 どうやらこういう手を良く使うらしい。 こんなこと許したら悪いくせになるし、ほかの観光客にも良くないと思い、 『我要5クァイ』とか45元と決めたじゃないのか? と身振り手振りで結構しつこく 言うがダメ、結局時間切れでバスに乗り込む。 今となってはどういうやり取りをしたか覚えてないが、 同じツアーのおばさんに感心して言われる「今度買物するとき頼もうかしら」。 負け惜しみじゃないけど、掛け値で買物をしたときに大事なことは安く買った、 高く買ったということはスッパリと忘れること。 結局欲しいと思ったものを手に入れられたかどうかの問題なのです。 買物はゲームで、商談成立はラグビーのノーサイドの精神といったところか? 私の少ない経験から言ってもアジアの諸国ではこういった買物でのやり取りを 楽しむこと自体が日常生活の娯楽の一つとして欠かせないもののようになっているようです。

(兵馬傭;射手)→兵馬傭;射手

 そして、次にいよいよ兵馬俑坑(ピョンマーヨンコン)である。 ここは秦の始皇帝が自分の墓・始皇帝陵を護るために作ったものである。 3個所の発掘場所があるが、最も大きいのが1号坑と言われるタテヨコ200×60mの建物である。 暗い巨大な建物の中に入る。 大勢の人がぞろぞろと歩いている、かなり西洋人も混じっている。 内部には周囲のぐるりと中央の十字型とに通路が掛かっていて 下の発掘現場を見ることが出来る。 人垣をかきわけて通路の柵までいく。……絶句! 何百何千の土で出来た等身大の兵士たちが2200年前と同じく東を向いて立っている。 その顔つきが全て違う。 総数6000余体、全て当時の実際の兵士の顔を型どって造ったものという。 ついでながらその頃、日本は縄文時代たけなわであった。 薄暗い中生気さえ感じられるような写実的な将軍傭、騎馬の武士傭、弓の射手、 一般兵士達が整然と今も皇帝の墓を当時の東の敵国の魏・楚などから護っているのだ。 西側には、まだ土につぶれたままの兵馬傭がぎっしりとある。 一体修復するのに2から3か月、全て終わるのは何世紀か後だろう。 三号坑には門と馬に引かせた戦車の傭がある。 内部は撮影禁止で、へたにVTRカメラを構えると兵士にチェックされ録画を消去されていた。 高感度フィルムで隠し撮りする猛者もいるそうだが、 結構な罰金を取られることもあるそうでよしたほうが賢明である。

 続いて、半坡(バンポー)遺跡へと行く。 紀元前4000〜2500年の新石器時代の仰韶(ぎょうしょう)文化の遺跡で かなりの規模で詳しい解説が中国語と英語でしてある。 土器と石器と骨があって、……それ以上何も思い出せないな。

 次は興慶公園で、中には阿倍仲麻呂の歌碑がある。 そう、あの『天野原振りさけ見れば〜』の歌で有名な人である。 前回話した唐の玄宗皇帝のときに中国に留学した人で鑑真和尚と共に 日本に帰ろうとするが果たせず、73歳で長安に没している。 彼は詩仙李白と親交が厚かったそうで碑には阿倍仲麻呂が帰国する際に詠んだ 漢詩も刻まれている(結局、帰れなかった阿倍仲麻呂が親友の李白とどういう 対面をしたのか気になるけど……)。 でも、碑は1979年に出来たもので金箔もあざやか、たいした感慨も湧かなかった。 それより、公園内には国内からの観光客がこれまた一杯居て出店も各種でている 可口可楽(コカコーラ)や雪碧(スプライト)などの缶入り飲料は月給数百元が平均的な 中国にしては不当に高く2.5元から3元もする。 池のほとりではべっこう飴で見事な龍や馬を“描いて”いる飴売りもあった。 そして、上海にもいたのだがいわゆる乞食も居た。 職業選択の自由の無いこの国ではいないはずの“職業”である。 そして、これまで数えきれないほどの中国人を見たが、 例の人民服を来た人は一人もいなかった。 あれを着るのは、もうミーハーなバックパッカーとマンガの中の中国人だけのようだ。 (結局、ウルムチ辺りで一人だけそれらしい服を着た男を見かけた)

 ハードスケジュールをこなして夕食の時間となる。 西安にくるツアーが必ずやるといわれるギョウザパーティーである。 場所は五一飯店というところ。 が、昼間のビールと炎天下を歩きまわったのが今頃こたえてきてスタミナ満点といった 感じの田ウナギにはちょっと箸が出ない。 続いていよいよギョウザの出番で蒸しギョウザ、水ギョウザを中心に次々と出てくる。 なかなかおいしい、これで体調が良ければ…… 最後に楊貴妃のギョウザとか言う小指の先ほどのギョウザが入ったスープが出て しめて23種類。

 八時にホテルへ、部屋の相棒は西安の夜市に出かけるが、 私はそのまま十時まで寝込んでしまう。 眼が醒めて、ロクに食べていなかったので西安行きの飛行機でもらったビスケットを食べ 風呂に入ってテレビをつけるとホテルの有線でバックトゥザフューチャー2を 日本語字幕付きでやっていた。 ぼけっとしながら見ていると相棒が帰ってくる。 友誼商店なら10元はする木で出来た扇子を20個以上買っている。 「いやこれが、安くてさ! まとめ買いするからって一つ2元にまでしたんだ」と 嬉々としている。 この手の情報交換はパックツアーであろうと自由旅行であろうと不可欠で、 なにがどこにあってっどうだったかということを冒険の報告のようにお互い 話し合うのがこれまた楽しいのだ。 そして、このツアーにはそういった話題に事欠かないなかなかユニークな 人たちがそろっていた。

【*宝石質の岩石の総称、固く少しでも光を透過すれば何でも玉と呼んでいるようだ。 いわゆる宝玉という品質のものは均質か特有の模様があり、 固く様々の色(緑、深緑、暗赤色、白、黒……)がある。 安いのは山西玉とかいうものがあり、加工の簡単な灰皿程度なら10元(260円)未満である。】


8.少し普通でない人々

 さてここでちょっと話をそれてツアーのメンバーを詳しく紹介させてもらいます。 まずは、コンダクターのN氏は何と弱冠21歳、 中南米には何度も行ったことがありスペイン語はぺらぺらとか、 でも中国語はほぼダメ、でもなかなかしたたかな人で何かとせこい事をする 某中国ガイドをもうまく使いこなしていた。 そして、典型的中高年ツーリストを演じてくれた夫婦、 あっちこっちでいろいろ高値で売りつけられていたがそんな事いっこうに 意に介さない大人(たいじん)であった。 中年の夫婦はそれこそ世界各地を周っているらしく 主にアフリカ辺りの国の話が多かったような気がする。 おばさん4人組(3人かもしれない)、何でも書道のお師匠さんと弟子だそうで、 そうは見えないが海外経験は豊富、 この後書道の知識を存分に発揮してくれる(中国にはけっこう記念碑が多いが、 その字にいちいち注釈や文句をつけるのが面白かった)。 そして、華僑の医師・呉氏、当然中国語も堪能で各地で何かとお世話になりました。 なにより医師がいるというのはとても心強いことで各地の食べ物を心配なく堪能できた。 若い女性二人は一体何を考えているのかいまいち分からん連中で、 炎天下に化粧を直していたのが印象的だった。 残る6人は中国関係の貿易か何かの商売をしている小太りの男とやせたご友人、 カメラが趣味でどこへでもカメラケースを引っ張っていく男、 そして大学図書館の勤務らしい何とこのシルクロードツアーが海外初体験という高桑氏、 呉氏を除けば最も中国語に堪能で文部省の中国語四級(こんなのあったんだ!) 通訳担当(?)の渡辺氏、 そして部屋の相棒の山崎氏は本業はバイヤーとかでそのせいか各地の土産物を安く 大量に“仕入”れていた。あれ? 一匹足りないブーブーブー!


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