大雁塔→
朝一番はホテルのすぐ西の大雁塔(ターイェンター)観光である。 ここはあの玄奘三蔵(AD602-664)が国禁を犯してインドへ行ったあと 多数の経典を持ち帰り、それを漢訳する作業のためAD652年に建てた塔である。 補修が幾度と無く繰り返され、明(ミン)代に大規模に改修されている。 当時の面影は八角の外見に残っているとのこと。 内部は結構広いが階段が急で、月曜だったせいか中国にしては空いていたのが 歩くには助かる。 ご存じの通り、中国は残り少ない共産主義国家なので宗教というものは当時、 公式には認めていなかった、はず……なのだが、仏像は飾り立てられ、 ちゃんと剃髪して袈裟を着た僧侶が塔の中でじっと座っている。 上から見ると、結構広く、埃っぽい西安の街が広がっている。 そろそろ時間だ、一階へ降りると記念バッチを売っている。 一個3毛(3角、約8円)、こりゃ安いやと30個ほど買い込む。 更に下の集合場所に降りると、ツアーの一行のうちまだ何人か戻っていないという。 お陰で、高さ64mの7層の塔を3度往復することになったN氏が冗談半分で 旅行会社の名前入りの旗を出して言う、「ちゃんと集合時間守ってくれないと、 この旗を出して先導しますよ、ほーら」。 『そりゃ、恥ずかしい!』の誰かの返事に誰もがうなずく。
お次は、空海記念堂のある青龍寺へ。が、肝心の青龍寺が閉まっている。 何でも“学習会”の最中なんだそうだ、『顧客第一』じゃないのかなどと 文句を言いながら、展示室だけ見て帰る。 J□Bの60人乗り大型バスの間をすり抜けて、マイクロバスに乗り 小雁塔(シャオイェンター)へ。 こっちは玄奘三蔵に続いて同じくインドに行った唐代の義浄のために建てたもので、 現在13層42mである。 入塔料は7毛(角)、各層の高さが低く、最上階では身をかがめて、 上の2層を失った屋上へ出る……汚くて臭かった。
つまらないので境内へ、奥の建物で何と気効をやっている。 リンカーンみたいにヒゲをはやして、英語のロゴのTシャツのお兄さんが 椅子に腰掛けたおばさんの体中を手を触れないように動かし、5分ほどして、 右手を引くと、気合もろとも気を送る(らしい)。 壁一杯に気効の説明図やら念仏のようなものを描いたものがぶら下がっている。 やってもらいたかったが、時間がなかった。
昼飯になにかゼラチン質のものをから揚げにしてチリソースをかけたものが出る。 おいしいが、正体不明である、これは何だと議論になるが、 『おいしいんだから、正体を知らない方がいい』の一言でみんな納得する。
午後は陝西省博物館へ。ここの目玉は碑林である。 1095基の石碑が所狭しと並べられているのは大迫力で、 書道のお師匠さんが何やら元気になって、あちこちの字に解説をする。 隷書、篆書のお手本となる碑もあるとか……。 ここで見つけたのが、現役高校生なら絶対知っている(筈の)『大秦景教流行中国碑』、 異端とされ、ローマを逃れて伝播したキリスト教ネストリウス派が 長安で大流行したのを記念したものである。
大秦景教流行中国碑→
つぎは鐘楼へ。 鐘を撞いて時を知らせた建物だが、高さは38m、幅はもっとある巨大な建物である。 ここから西への大通りがそのままシルクロードにつながる。 ここでもバッチを売っている。また買う。 もっと高いものも売っていたが眼に入らなかった。 近くのバザールの男や少年たちは明らかに、アラブや西欧系の顔立ちをしている。 もう一つ、太鼓を叩いて時を知らせた鼓楼を経て、清真寺へ。 ……あぁ、忙しい……清真とは中国語でイスラム関連のものにつける形容詞で、 イスラム料理の店先には、この字を染めた暖簾のようなものがよくぶら下がっている。 柱に刻んであるのは、確かにアラビア文字に見える。 そして最後に、長安の街を護った明代の城壁の南西の城門へ。 とにかく、日本の城の城壁とは較べ物にならない。 高さ12m、幅(厚さ)18mもあり、黒ずんだ硬く大きなレンガで、 紙の入る隙間も無く組まれた城壁が遥か向こうまで続く。 もとは東西3.5キロ、南北3キロの規模であった。 やっと、日が傾きかけた西を見る。この向こうにシルクロードが延びている。
夕食は小さいころ飲んだものと良く似た味の甘ったるいジュースばかりを飲む。 N氏が言う「今夜の飛行機が飛ぶかどうかが、この旅で最もクリティカルな瞬間です」 続けて言う、「この先のホテルには冷房はありません!」。スリリングな旅だ。 何か不安になって航空便を書く(1.6元、約40円)。20時40分、めでたく離陸。 飛行機はBAe146、中国西北航空2546便だ。乾しあんずと椰子の実ジュースが出る。 渡辺氏が同席した中国の学生とポコペンと会話している。 最後に美国杏仁(American Almonds)が出て、21時40分、蘭州空港へ着陸。
西安、西の城門→
蘭州空港の薄暗い玄関へ。夕食から2時間余り、そろそろトイレにいきたい。 玄関近くに厠所(ツェスォ)の表示、が中は完全にまっ暗。 高桑氏が敦煌の莫高窟見学用に持ってきた懐中電灯を持って中に入る。 しばらくして出てきて言う。「穴だ! アナ! ただの穴があるだけ!」。 出ました! 無駄を省いた中国特製の公衆便所、しかも照明スイッチは見つからない! 莫高窟見学用の懐中電灯がこんな所で役に立つとは思わなかった。
10時すぎ、硬いシートの2台のマイクロバスで金城賓館へ。 穴の多い75キロの路を70分で飛ぶように走って着く。 蘭州は人口80万の都市だそうだが、まっ暗で街の様子は分からない。 外は結構涼しく感じるのだが、部屋の中は途方もなく蒸し暑く、 扇風機を回しても熱風が来るだけ。 風呂のカーテンは防水ではなく、備え付けのクシはトゲが生えているかのように 髪にひっかかる。 ホテル内の表示から英語すら無くなり、略字体が分からずエレベータの開閉にすらとまどう。 そして、部屋には鍵が無い。 文句よりさきに悟ったように感じる、シルクロードに近づいたと。 これからは、いかに気力体力を温存できるかが旅行を楽しめるかどうかの分かれ目となる。
翌朝5時10分起床、6時発で空港へ。車中で夜が明ける。 窓の外は荒野、台風の海の様な黄土色のうねりが道を囲んで続く。 やがて、東の空が赤から白に変わり、天を指す並木に守られた道が空港につながる。 7時15分、風が強く寒い! 硬いカステラやパン、スキムミルクを溶いた飲物、 乾燥ミカンのシロップづけ、そしておかゆがあっという間になくなる。 8時40分離陸、昔なつかしのカセットペンシル(昭和47年ごろ流行った!)が配られる。 スチュワーデスが私に中国語で聞く「 要什仏?」(ジュース要りますか?) ハハハ……
窓の下に褐色の大地、行く先は敦煌である。
法顕 (ほっけん)(AD337-422) 『仏国記』より。
彼は敦煌から北に抜け、ゴビ・ロブノール砂漠を通って、西に向かった。